美味しい知識の収集屋 : 自分がつくった「黄熱病ワクチン」を打ったのに黄熱病で死んだ野口英世
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細菌の研究者として世界的に名高い野口英世(1867〜1928)が、研究者としての後半生を黄熱病の研究に尽くしたのは有名な話だ。
とくに、福島の極貧の家に生まれ、幼いころ囲炉裏で大やけどを負い、片手が不自由になりながらも、ひたすら医学に打ち込み世界的な研究者になったというところがいかにも日本人に好まれそうな、立志伝中の人物でもある。
彼は、1918(大正7)年、黄熱病の病原体をつきとめるため南米エクアドルのグアヤキルに行き、そこで、病原体の「スピロヘータ」を発見。それをもとにワクチンを大量につくった。
だが、1924(大正13)年ごろから、アフリカ西南部にまた黄熱病がはやりだし、野口ワクチンが効かなくなったというので、野口説への疑惑が濃くなった。
それで彼は、1927(昭和2)年秋、現地のアクラへ赴き、実験用のサルを大量に買い込み、大がかりな実験に取り組んだ。もちろん、その前に、自分のつくったワクチンを注射し、感染に備えたのはいうまでもない。
ところが、実験にとりかかってまもなく、彼は悪寒や嘔吐の症状を起こした。それでも彼は、「黄熱病にかかったが、ワクチンのおかげで軽い症状ですんだ」「ワクチンを打っているから、いったん黄熱病にかかって治れば、二度とかかることはないはずだ」と信じて危険な黄熱病の研究にいそしんだ。
そしてついに真の病原体を発見したと喜んだ野口だが、翌28年5月に黄熱病を発病してしまった。「どうも僕にはわからない」と不思議がりながら、皮肉にも、みずから研究中の黄熱病でこの世を去った。
じつは、黄熱病の病原体は、当時の顕微鏡では発見できない小さなウイルス。彼が発見したのは別の細菌で、当然、ワクチンも効くはずがなかった。実験中にかかって治った病気も、おそらく黄熱病ではなかったのだ。
黄熱病の研究は空振りに終わったが、彼が梅毒スリロヘータを麻酔性痴呆患者の脳内から発見した業績は、今も高く評価されている。
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