日々の風: 2012年1月
現在、神戸ファッション美術館で開催されている『感じる服 考える服~東京ファッションの現在形』(2012年4月1日まで)を観賞してきた。大体、この美術館は、女性のファッションの美術館と言える。女性の観客が多いので、いつも行くのは、多少、気恥ずかしい感じだが、時々、見に行く。内容については、十分理解できるとは言い難いが、雰囲気だけを楽しんでいる。
流風は、自分のファッションには疎いが、一応、若い時から、女性のファッションには関心はある。それは変化があり面白いからだ。それに比べて、男のファッションというものは、女性のファッションに比べたら、あまり広がりはない。それに流風の世代は、あまりちゃらちゃらした服は敬遠された。確かに学生時代にジーンズは流行していたが、それから、そんなに進歩したかと言うと、疑問が多い。
会社勤めはスーツだし、ファッションに熱心な奴は、往々にして仕事ができないと言われたものだ(笑)。ファッション自体が仕事関係であれば、それはやむを得ないが、一般の男にとって、それほど重要視されているとも思えない。最近の若い男のだらしないファッションを見ても、まあ、若い時は、着こなせても、いつまでも着ることはできないだろうなと、冷やかに見つめている。それほどに、男のファッションというものは、限界がある。ファッションは、やはり女性のものであろう。
先端を行く女性のファッションは、一般には着こなせないが、時代の雰囲気を醸し出すか、あるいは、これからの時代の可能性を示唆している場合が多い。そういうものには、私達は、知らず知らず強い影響を受けているのだろう。そういう意味では、ファッションとの触れ合いは、時代性を象徴した芸術の鑑賞と似ている。
すなわち、特定の時間と空間の中で、身につける体という制限枠内で、服装が、せめぎ合っているのは、なかなか面白いものだ。すなわち、人体と服装の形、素材、デザイン、色彩の組み合わせのいろんな組み合わせが、脳を刺激する。そして、繰り返すようだが、それは時代の反映でもある。ファッションは、そのバランスの程度で、時代観が出てくる。
今回の展覧会では、再び、日本のファッションが注目を浴びていることから企画されたようだ。ハイファッションから、ストリート、ファストファッションが強い影響力を持ちながら、時代の空気を察して、新しい変化を迎えている。その中で、「新しい時代のリアリティを追求しつつ、ユニークなクリエイションを展開している」10組のデザイナーの作品を紹介している。
一、サスクワァッチファブリックス(横山大介・荒木克記)
ストリートからの発信
フリースタイルで民族的なモチーフ
二、まとふ(堀端裕之・関口真希子)
新しい美意識の提案
日本的な美意識が通底する新しい服
三、アンリアレイジ(森永邦彦)
既成概念の見直し
古着のリメークに始まり、「神は細部に宿る」を信念
マニアックなクラフトワーク
四、h.NAOTO(廣岡直人)
ストリートからの発信
サブカル文化と連動
パンク、ゴス、ロリータなどをミックス
閉鎖的なサブカルチャーのコスチューム
五、ソマルタ(廣川玉枝)
新しい美意識の提案
無縫製ニット
映像ショーにより物語性を映像で表現
服作りは純粋にテクノロジーとして展開
六、ケイスケカンダ(神田恵介)
既成概念の見直し
「女の子が僕の服を着て、笑ってくれれば、それでいい」
顧客とのコミュニケーション重視から生み出される
七、シアタープロダクツ(武内昭・中西妙佳・金森香)
多面的な活動
服を作って売るだけではない
その見せ方、人々の手に渡るまでのプロセスデザイン
ショーはエンタテイメント性を帯びる
八、ミントデザインズ(勝井北斗・八木奈央)
オリジナルのテキスタイルを生かした服作り
「服を一つのプロダクトとして提案」
長く日常生活で着られる服作り
豊かな色彩感、大柄プリント、シンプルだがユニークな造形
九、ミナ ペルホネン
オリジナルのテキスタイルを生かした服作り
「特別な日常服」
北欧のライフスタイルとカルチャーに共感
十、リトゥンアフターワーズ(山縣良和)
多面的な活動
ファッションを様々な媒体で表現
全体的に見て感じることは、ファッション企画途上のバックグラウンドの表現に近い。これらが現実に、どのようなファッションとして展開されるのか、興味深い。多分、多様化の波を皆さんが受けているような感じだ。
ファッション作家の感性はそれぞれだが、現在は、それがより拡散している感じだ。ファッションは、脳内活動の表出だ。脳内で整理されたコンセプトで、人体プラスファッションから発せられるエネルギーが、人、空間、共有する時間、社会、世界へと波及していく。
そして、今、流れる時代感覚の中で、多様な世界の民族の影響を受けて、ファッションの主張が微妙に変化しているようだ。そこで重要なのは、無国籍ではなく、いかに日本らしさを主張するかということであろう。
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